読んだ、マルクス・アウレリウスの名著。神谷訳。(ISBN-13: 978-4003361016)
きっかけは、大好きな映画の一つである「羊たちの沈黙」のワンシーンで「本質はなにか」というテーマに関しこの本が言及されていたこと。
ストア派哲学、自分に厳しいタイプなので結構好き。ただ、感情を尊重する部分については「善意を持って接せよ」くらいで軽くしか書かれていないのでそこはスコープ外。 自分は「我思う、故に我在り」の理性派なのでいいけど、これを感情的な人間とか考える体力がない人にはおすすめはできない。理性で感情を受容できる前提がある。
偉大なる哲学者も日々人間らしく悩んでいたことが、同じ内容が繰り返し出てくることでひしひしと伝わってくる。 自分に繰り返し言い聞かせないといけないくらい、周りの評価や批判を気にしがちだったのかなあ、とか。
とても実学的で日々の生活に活かせるrelatableな内容で良かった。
本質を見る
なんらかの意味において美しいものはすべてそれ自身において美しく、自分自身に終始し、賞賛を自己の一部とは考えないものだ。実際人間は賞められてもそれによって悪くも良くもならない。 (中略) エメラルドは賞められなければ質が落ちるか。(第4巻 20)
評価と本質的な価値は別物。最近ビブグルマンの江戸前寿司食べたけど、評価の割に美味しくなくてサービスも悪くてショックだったことを思い出した。
逆に、たとえ他人から評価されなくても、自分の正義に基づき公益と思える行いをするべきで、承認欲求を善い行いの妨げにしたくないと思う。 (もらってる給与以上の仕事をするにはモチベ上がらないきらいがある自分的感想)
名誉を愛する者は自分の幸福は他人の行為の中にあると思い、享楽を愛する者は自分の感情の中にあると思うが、ものの分かった人間は自分の行動の中にあると思うのである。(第6巻 51)
君が善事をなし、他人が君のおかげで善い思いをした時に、 なぜ君は馬鹿者どものごとく、その他にまだ第三のものを求め、善いことをしたという評判や、その報酬を受けたいなどと考えるのか。(第7巻 73)
周りの評価や、自分の解釈も、全てはあらゆる主観の交差なだけ。そんなもの気にするには人生は短い。
君が自分の義務を果たすにあたって寒かろうと熱かろうと意に介すな。 また眠かろうと眠りが足りていようと、人から悪く言われようと賞められようと、まさに死に瀕していようとほかのことをしていようと構うな。 なぜなら死ぬということもまた人生の行為のひとつである。 それゆえにこのことにおいてもやはり「現在やっていることをよくやること」で足りるのである。(第6巻 2)
働け、みじめな者としてではなく、人に憐れまれたり感心されたりしたい者としてでもなく働け。 ただ一事を志せ、社会的理性の命ずるがままにあるいは行動し、あるいは行動せぬことを。(第9巻 12)
自分が公益を為すかどうかが全て。それ以外は全てどうでも良いこと。IDGAF
笑止千万なことには、人間は自分の悪を避けない。ところがそれは可能なのだ。しかし他人の悪は避ける。ところがそれは不可能なのである。(第7巻 71)
自分が自分の意志で怠慢をはたらいたり、周りからどう思われる等といった無駄なことに一喜一憂する悪は、自分の意志でそれをしている以上回避可能。だがしないのはなぜ?
他人や環境に変わって欲しいとか不平不満を垂れるのは、自分のコントロール外なのに願うのはなぜ?
すべては主観にすぎないことを思え。その主観は君の力でどうにでもなるのだ。 したがって君の意のままに主観を除去するがよし。 するとあたかも岬をまわった船のごとく眼前にあらわれるのは、見よ、凪と、まったき静けさと、波もなき入り江。(第12巻 22)
Apatheia
(不動心) を獲得したい。
自然に従って生きる
指導理性(トヘーゲモニコン)を正して、神が想像した自然の流れに従って生きる。
汎神論、唯物論な感じ。 神とかはしらんけど、例えば生きていくうえで直面する困難とか悪人とかも決定論で、それに対して自分が何ができるか、自然に従い善意を持って善い行いをし続けるというのは良い。 メリトクラティックな社会において、自分がコントロールできる範囲を不必要に拡張して疲弊することが助長されるが、自分の力でどうにもならないことはたくさんあるのでね、、神とかはしらんけど。
いかなる自然も技術より劣ることはない。 なぜならば諸技術は種々な自然の模倣なのである。 そうだとするならば、あらゆる自然の中もっとも完全でもっとも包容的な自然が、巧みな技術にひけを取るはずはない。 またあらゆる技術は高いもののために低いものをこしらえる。 したがって宇宙の自然も同様にするのである。 そこに正義の起源があるのであって、他の徳はみな正義から出てくるのである。 なぜならば、もし我々がどうでもいいことに重きをおいたり、欺かれやすく、軽率であったり、変わりやすかったりしたならば、正義は保たれないであろう。(第11巻 10)
再訪用
これが良くまとまっていたのでまた戻ってきたくなったらこれを見るのが楽。
こういうのいつもは英語で読むのだけれど、日本語で読むのもまた違った味があって良い。 英語でこういう教訓的なものを読むとポエティックな表現に感心してしまうが、日本語で読むとそういうのがないので内容をそのまま受け止められて良い。
今年は読書、特に哲学の年にしたいが、気分を変える意味でも基本的には全部日本語で読もうと思っている。